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最高裁判所第二小法廷 昭和58年(あ)488号 決定 1984年6月01日

本籍・住居

千葉市新町九二番地

無職(元税理士)

金澤佐吉

昭和八年七月一〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五八年三月七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人加藤義樹の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 監野宜慶 裁判官 木下忠良 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次)

○ 上告趣意書

被告人 金沢佐吉

右の者に対する所得税法違反被告事件について上告の趣意を左記のとおり提出する。

昭和五八年五月一八日

右弁護人 加藤義樹

最高裁判所 御中

第一、第一審及び原審の判決には証拠法上の違法があるとともに事実誤認があって、右原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、第一審判決は公訴事実第三の昭和五四年度の所得につき、角田株式会社、石橋生糸株式会社、松村株式会社を通じての商品先物取引による利益が、被告人の所得であることを認定し、これに対し被告人において右の認定は、採証方法を誤り、事実誤認であることを理由に控訴したが、原審は右の認定には誤りがないとして控訴を棄却した。

二、右の事実を立証する証拠は結局証人森の証言のみであるが、同証言は、以下記述するごとくそれ自体における、又、他の証拠との矛盾を多く含むものであることから明らかなように、その信用性は極めて低いものであって、到底証拠価値はなく、他に右事実を立証する証拠はない。

(一)証人森は、一方で前記三社分の取引について被告人の依頼による取引であるとして、

1. (金)「私が直接取りに行って金沢さんの指示に基づいて行って、それで金沢さんの手元に渡しております」

2. 「所長と一緒に行ったことはない」

3. 「これが自分の取引ではない」

4. 「昭和五四年一〇月一八日松村、角田からの利益金については金沢からバック一つ借りて取りに行った」等と証言するが、他方

1. 証第一四五号証の角田株式会社宛の振込依頼書の筆跡は自己のものであることを認めたうえ、しかもその日付である昭和五四年三月一五日、三五〇万円の出所について証第一四六号の証拠金明細との不一致を説明しえず、

2. 利益金を被告人に渡しても領収書は取っていない、

3. 前記三社との取引に関する印鑑、記名判は自分が保管使用していた、これを返したのは昭和五五年に入ってからである。

4. 取引に関する報告書は(森の)自宅に送らせていた、

等の被告人の取引であることと矛盾する証言も行っている。

(二)証人鈴木進は、角田株式会社との取引について

1. すべて森を通じて取引をした、

2. 角田に対する支払はすべて振込みで、出金はすべて現金で森に渡した。

3. 森にカバンを貸した記憶がある、

旨証言し、

(三)証人北爪は、松村株式会社との取引について

1. 森からの注文であった、

2. 大伸物産株式会社の確認はしていない、

3. 連絡は岡地株式会社千葉支店か森の自宅に対してなした、

4. 松村からの支払は森に現金を渡した、

旨証言するところ、これら(二)、(三)の証拠には、いずれも前記三者の取引主体が被告人であるとする森証言と矛盾するところである。

三、右証人森、同北爪、同鈴木の証言はそれぞれにおいて不可分の証言であるが、それぞれの証言及び三証言全体としては、角田及び松村との取引はすべて森が行ない支払金の現実の受取人も森であることが認められ、これに証人飛沢証言を併せ考えれば商品取引を行なう会社に籍を置く者が他の会社において取引を行なうのは当該外交員の手張りによる場合と証言していることからして前記三社との取引は森の手張り行為と認められるところである。

森が前記三社を利用した理由について説明するところも信用できるものではなく、被告人の岡地株式会社を通じての取引が建玉制限を受けるものであれば他の架空名義を利用すれば足りるところである。

四、他方、三社との取引による利益金が現実に被告人に帰属したとの点についての証拠が極めて希薄である。

他の取引について被告人は、申告していないのであるが、それらの取引についての証拠金等の払込、利益金の受け取りは、銀行振込を利用しているのであり、何も三社分に限って現金を直接受ける必要は全くないのである。証人森は、三社分は角田などから現金で受け取り、これをそのまま被告人に手交したというのであるが、そのような多額の現金を運搬すること自体不自然であるし、押収された被告人の預金通帳によっても三社からの入金に見合う預金入金の事実も認められないのである。

原判決は、三社からの入金があって、近接した日時にこれに見合う出金があったとするが、右の入出金について入金した現金により出金がなされたとの証拠は皆無であるうえ、第一審弁論で説明されている如く、右の出金は別の取引による入金によってなされていることが認められることから、右の原判決の認定は全く根拠を欠く恣意的な判断である。

五、前記三社の取引は、森の手張りであるからこそ三社からの報告書などの郵送先は森の自宅にしたのであり、利益金などは森が直接現金を受け取るといった方法によったのである。

被告人にしても、森から三社分の利益とされるような多額の現金の交付を受けたことはなく、又、飛沢証人も外交員たる森が二三〇万円をこえて現金を単独で顧客の下に持参することはない旨証言しているところである。

従って、被告人方に三社分の取引に関する報告書や振込通知書などが存しないことは当然である。ただ一点、昭和五四年三月一五日付の共栄商会名の角田株式会社宛の振込通知書が押収されているが、これは、昭和五五年三月に入って、本件が発覚した前後、森が保管していた被告人の架空名義の印鑑、記名判が同人から返還された際、偶然まぎれ込んでいたものであり、むしろ、他の通知書などが、被告人方あるいは東京に設置した事務所からも一切発見されていないことが不可解なことである。

又、右の三月一五日付通知書についても、森証言の如く当日被告人の手許から三五〇万円が森に渡ったとの証拠もみあたらない。

尚、被告人は、元々、前記三社分は森の手張りによるものであると主張していたところ、取調官の誤導によりこれを認めるにいたったもので、右を認める自白調書の信用性はない。

六、以上、一件記録の各証拠に徴すれば前記三社の取引は森の手張りによるものである可能性が極めて強く、少なくともその利益金が被告人に帰属したと認定するには合理的な疑が残るところである。原審の認定は、不可分である森証言の一部をとって全体の意味と異なる趣旨の認定をしたものであって、証拠法上の違反があるとともに事実誤認があって刑事訴訟法第四一一条一、三号により破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。(最判昭和三二年二月一四日、刑集一一巻二号六九六頁参照)

第二、原判決の肯認した第一審判決の刑の量定は甚しく不当であって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

一、被告人は、中学生時代から戦後の混乱期のため競輪場でアルバイトをするなど苦労を強いられ、ようやく昭和三二年早稲田大学法学部を卒業したものの、父の家業が売春関係のそれであるということで、その優秀な成績にもかかわらず就職しえず、このため何の知識もないまま税理士の道を選ぶに至ったのである。

これも書生奉公しながらの刻苦を強いられたものであり、ようやく昭和三九年に資格をとり開業するに至った。粉骨砕身し、同四五年には税理士会千葉支部副会長にまでなったが、これと併行し、家族間で相続問題が起り、母親の面倒をみるということで被告人が肩書地の土地を取得することになったものの、昭和四九年、区画整理が実施され地価が上昇するに至るや、兄姉達が財産分けを主張し、結局、母の住む実家たる肩書地を残し、母を安住させるには、被告人の力をもってするよりほかはなく、このため、被告人は実力以上に銀行借入をなし、肩書地にビルを建てる一方、借入金をもって兄弟に財産分けをなすこととなったのである。

当然のことながら借入金の返済は、被告人の負担するところとなったのであるが、こうした通常の税理士としての力量以上に借入をなしその返済に責を負うことになったこと、昭和二〇年代から父母及び自らがいやおうなしに金銭的な苦労をしつづけてきたことなどから、資金的に余裕を持ちたいと考えるようになったのであるが、結局、右が本件の遠因となったものと考えられるところである。本件査察により営々として築き上げてきた地歩を瞬時にして失なったことを考えるとき、右の経緯には同情の念を禁じえないところである。

二、そもそも、申告をしないで商品取引をすること自体、常識では考えられないことである。商品取引であれば当然に損失の発生を考えなくてはならないが、申告せずに取引を行なおうとすれば右の損失は計上しえず、しかも利益の生じたときは脱税の発覚を恐れなければならない。正常な理性を有している者であれば、又、本件により理性を取り戻した被告人であってみれば、到底本件のような危険な行為には走らないと考えられるところである。そして被告人を本件のような非理性的な暴挙に走らせた遠因が前記のようなものであれば一層同情の念を感じさせるところである。

三、昭和五五年五月、被告人に対し本件による査察がなされたことはたちまちにして取引界に流れ、いわゆる「千葉筋」である被告人の取引に露骨にこれが反映し、被告人もこれに対処しえず、又、けじめをつける意味においても損失覚悟で手仕舞をしたのであるが、その結果、目を覆うばかりの損失を被ったのである。

即ち、

1. 岡地株式会社関係では 三五七、一七九、五二八円

2. 山梨商事株式会社関係では 三〇、六八一、一四〇円

3. カネツ商事株式会社関係では 一二六、〇八九、六六〇円

合計 五一三、九五〇、三二八円

の損失にのぼったのである。

被告人が商品取引を始め、昭和五二年には約三、〇〇〇万円の利益をあげることができたものの、前年には同額の損失を出しており、昭和五三年、同五四年にはそれなりの利益をあげたものの、結末は右の状況であり、残ったものは結局多額の債務と被告人の逋脱行為のみであったのである。

右の浮沈については、事業として商品取引を行っていたのであればそれなりに税務上も対処しうるのであったが、本件ではそうでないため、一時期の利益が所得とされ、当然のことながら課税されることとなったのである。

被告人が商品取引を行ったのは僅か四年間であったが、その四年間を通じては結局被告人が商品取引によっては実質的利益を得ることがなかったことは十分斟酌されるべき事情であると考える。

四、被告人の本件犯行については、被告人が税理士という立場であったが故に当然のこととして本件につき新聞・テレビ等で報道され、社会の批判を受けることとなった。

このことから顧客は一せいに被告人の許を去り、経済的にも多大の制裁を受けることとなったのである。

他方、被告人としては一部主張すべきことはあるにしても、逋脱行為をなしたことは事実であり、右の批判を潔く受けるとともに自ら、反省の顕として、被告人及びその家族の生計の基盤である税理士資格の返上をなしたところである。

斯様に、被告人の反省の態度には十分見るべきものがあり、再犯のおそれなどは考えられないところである。

五、現在被告人は、ビルの賃料をもって生活の糧としているところ、右によって借入金の返済もする必要があり、家族を抱えたその生活は極めて厳しいものがある。

預金、不動産の差押により過半の税金は実質的に納付ずみと家るものの、被告人としては早期に清算したいと苦慮しているのであるが、折柄の不景気により不動産の売却もままならず、その上被告人は昭和五七年一二月、心筋梗塞により倒れ、一ケ月の入院を余儀なくされたほか、現在も治療を受け外出もままならない状況である。

六、以上の情状に鑑みれば、原判決の維持した第一審の量刑はことにその罰金額において甚しく重い量定と断じざるをえず、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

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